2016年5月20日
『未来にかける夢 〜日本の心を舞う〜』
この講演会では、わたしの経験を志布志高校在校生にお話し、長唄『娘道成寺』を鑑賞していただきました。このOB講演会は、今まで男性で、若くても40代の方だったのですが、わたしが初めての20代で女性だったそうです。このような機会を頂けて、本当に光栄です。
公演後は、同窓会だよりと南日本新聞に記事を載せていただきました。
講演では、まず日本舞踊を鑑賞してもらいました。
演目は、長唄『娘道成寺』。18分に短縮したものを踊りました。
お話しした内容は、わたしが日本舞踊をはじめたきっかけ、過去に経験した人生の転機、東京藝術大学の入試のことを伝え、大学で勉強することの本当の目的に気づくことの重要性、過去に満足することなく未来のイメージをより明確に想像していくことの大切さを伝えました。
この講演は、原稿を書き臨んだのですが、そこから言葉を抜粋します。
「もし自分自身に満足して、自分が一番だと思ってしまったら、人はそこで成長が止まってしまいます。自分の生きた瞬間瞬間を捉えていくことで、過去の自分を越えて、永遠に成長し続けることができるのです。」
これは、わたしが感じたもっとも大事なことであり、実践しながら本当に難しいと感じることです。
一つのことを極めようと思うと、有り難いことに期待されることもあります。ですが、これは精神状態によって、正直大きな負担になることもあります。このような状態に陥らないために、過去の自分を超えていくことが重要なんです。
それともう一つ抜粋。
「理解していてほしいことは、人と比較しても、特に意味がないということです。目に見えるもので競争し、それで優越を決めるのは、たしかに分かりやすいことですし、一番をとることは人生の経験上、必要なことだと思いますが、それは一種の起爆剤でしかありません。
人はそれぞれ能力や経験の幅も違いますので、そこで他人と比べたとしても、それはただ“他人”という、自分には関係のない基準にとらわれて、自分の成長を制限しているということになります。決して本来の成長にはつながりません。
過剰な自信や、比較による優越感だけで満足して、自ら成長をやめることは大変もったいないことですので、皆さんにはそのような人になってほしくないと思います。」
この言葉は、きっと謙虚という一文字に繋がるのだと思います。
謙虚とは、相対するものに素直な態度で接すること、自分の地位におごることがないこと、というようにわたしはこの言葉の意味を解釈しています。決して、へつらうとか、遠慮するような意味ではありませんよね。
謙虚であるからこそ、空いてを尊重し、自然に受け入れることができるのだと思います。
わたしの講演をきいてくださった志布志高校在校生には、慢心することなく成長し続けて、志布志高校という自分の土台に誇りを持ち、大きな夢に突き進んでほしいと思います。
講演には、高校2、3年のときの担任の先生が来てくれました。
高校卒業以来の再会でしたので、懐かしく、とても嬉しかったです。